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2023年10月19日 AgeWellJapan Lab

【シニア傾聴インタビュー_vol.4】山あり谷ありだから、人生は面白くなる。

 AgeWellJapan Labでは月に1回、挑戦と発見を通じてポジティブに歳を重ねる”Age-Well”を体現されている方へのインタビューをお届け。Age-Wellな生き方を発信していきます。

 今回は、横浜・二俣川駅の多世代が集うコミュニティスペースであり、AgeWellJapan Labの拠点でもある「モットバ!FUTAMATA RIVER LIBRARY」に通う、寺村傅一郎さんにインタビュー。

 海外駐在経験もあり、英語が堪能な寺村さん。多様な経験を積まれてきたからこその考え方や生き方には、まさに「Age-Well」を感じ取ることができました。今回はそんな寺村さんの「Age-Well」に迫ります。

「人生の勉強」をした、浪人時代。

インタビュアー・荒生)本日はよろしくお願い致します。様々なことに造詣が深い寺村さんにお話をお聞きすることができ、嬉しく思います。早速ですが、まずは寺村さんがどのような学生生活を過ごされていたのか教えていただきたいです。

寺村傅一郎さん)幼少期は大阪で過ごしていましたが、小学6年生の頃に東京に引っ越し、開成中学に入りました。個人を尊重する自由な校風で、あの期間は本当に自分にとって大きな意味がありましたね。開成に入る子はみんな頭がいいんです。はじめは下から50番目くらいだったけど、勉強するうちに段々成績が上がり、高3の頃には東大の合格圏内と言われる順位までになりました。
ただ、高3の夏、周りが「東大だ!東大だ!」って受験勉強に一生懸命だった頃、僕は勉強をせずに映画に夢中になっていたんです。あの年は、ウエスト・サイド・ストーリーが日本にやってきて、「受験勉強してるなんてもったいない」と思うほどかっこよさにしびれ、高3の夏だけで映画館に13回ほど通いましたね。全く勉強していなかったので現役の東大受験は合格に至らず浪人することになり、駿台予備校に入りました。2週間くらいは授業を受けたのですが、その後は籍を置いておくだけで全く行かなかったんです。

荒生)2週間で予備校に行くのを辞めてしまったんですね!空いた時間はどんなことをしていたのですか?

寺村さん)沢山の映画を見ていたのに加え、フランス映画を原語で見たいと思うようになり、駿台予備校の近くにある「アテネフランセ」というフランス語の学校に1年間通いました。この学校の近くの通りが、パリを歩いているような気分になれる非常に趣のある通りで、とても好きな道なんです。この年も勉強していなかったので、一浪しても東大に合格はできず。浪人2年目の夏にとある映画評論家に「この道は食っていけないから勉強しろ」と説教されて勉強しはじめ、早稲田の数学科に滑り込みました。

荒生)目の前の好きなことに本当に夢中になる生き方、とってもかっこいいです。

寺村さん)年に250本映画を見て、映画雑誌に投稿して、アテネ・フランセでフランス語を勉強して、という映画漬けの3年間があって良かったと今になって思います。東大なんかストレートでいってたらこんなに面白い人生じゃなかったんじゃないかな。受験勉強には失敗したけど、500本くらい映画を見てたくさん人生を勉強することができたと思っています。

キャリアで大切なのは冒険心と継続。

荒生)寺村さんは75歳までお仕事をされていたとお聞きしましたが、50年に渡るキャリアの中で大きな転換点はありましたか?

寺村さん)勤続35年で会社を辞めたことです。大学時代からコンピューターの技術に興味があり、その関連で就職した商社のコンピューター部門に入り35年間過ごしてきました。55歳の時、身につけたコンピューターの技術と会計の知識は他の会社でも通用するのかな、と思い立ち、小さな会社で自分の技術を試すことにしたんです。
その会社の常務に「新しいシステムを作るので一億円出して下さい」と交渉し、システムを1から一人で作りました。「なぜ急に来た外部の人間にやらせるのか」って内部では反対されたそうですが、無事にやり遂げ、その時自分が作ったシステムは今でもその会社で動いています。自分が35年間やってきた技術が社会で通用することが分かった時、涙が出るくらい嬉しかったことを覚えています。その後は、68歳頃にコンピューター部品関連の小さな商社を立ち上げ、東南アジアの各国工場に営業をしていました。最盛期は3億円ほどの売上を立てました。

荒生)定年まで安定が約束されている会社を辞めて新しい環境で挑戦する、というと普通の人はかなりの不安を感じると思うのですが、そのような不安はありましたか?

寺村さん)もちろん不安でいっぱいでした。長く勤めた会社から出て自分一人だけで挑む挑戦なので、技術が通用するかどうかは分からない。でも、自分は果たして井の中の蛙なのかどうか、社会で通用するのかどうかを確かめたい、という、うずうずした気持ちが自分を突き動かしましたね。最終的には、「えいや!」と飛び込む精神で決断しました。

荒生)商社としての会社員人生と、転職での新しい挑戦、そして経営者もご経験された寺村さんにとって、キャリアを積む上で重要なことは何でしょうか?

寺村さん)どこかで冒険をすることです。そして、冒険できるくらいに、自分のスキルを一生懸命磨いて、社会で通用する技術を習得すること。どんなアマチュアでも、とことん30年間継続すればプロになれる。そして、新しいものを作り出すことはワクワクするじゃないですか。その気持ちを大事にすることですね。

荒生)新しいものを作り出すことはワクワクする、寺村さんらしいお言葉ですね!

寺村さん)中学3年の時に、東京から大阪まで自転車で一人で行った経験は自分にとって大きかったと思っています。1日100km目安に漕いで、一心不乱に大阪を目指しました。せっかくなら法隆寺を見ようと少し寄り道をしてみたら想定外に暗くなってしまい慌てたり、途中で雨にも降られたりしましたが、本当に良い思い出になっています。
子どもの頃につらい思いをするほど、思い出に残るんですね。「小さい子には旅をさせよ」という言葉は真理だと思います。

寺村さん)僕の人生で最も苦しんだことは吃音です。小学生の頃、大阪から東京に引っ越してきた時に、こてこての関西弁が珍しくていじめられたのをきっかけに吃音になり言葉が詰まってしまうようになりました。当時は切符の購入もうまくできないほどで、小学校の6年くらいから35歳までどもりにすごく悩んでいました。
変えてくれたのは、環境の変化と長く続けてきた趣味です。仕事でニューヨークに転勤になり、英語を話し始めてから吃音が出なくなりました。英語という今までと全く違う言語を話すことや、環境をがらっと変えたことで良い変化が起きました。ものすごく嬉しかったですね。
もう一つは、歌。大学時代から長く続けている歌は助けになりましたね。歌う時は吃音にならないんです。だから、1つの趣味を長く続けることは苦しい時に自分の身を助けると思います。自分が楽しいと思うことはやり続けないと、ですね。振りかえってみると、僕の人生、山あり谷ありでしたが、面白い人生だったな、と思います。

余裕と感謝を大切にしながら、人生を楽しみたい。

荒生)人生100年時代を意識し、寺村さんはどのような未来を描いていますか?

寺村さん)回向院というお寺に掲示されていた「ぼけない五箇条」を大事にしています。
1つ目が、仲間がいて、気持ちの若い人。
2つ目が、人の世話をよくし、感謝のできる人。
3つ目は、物をよく読み、よく書く人
4つ目は、良く笑い、感動を忘れない人。
5つ目は、趣味の楽しみを持ち、旅の好きな人。

江戸時代から続いているこの5つは正しいことだと思うので大切にしていきたいです。
あとは、昔から続けている歌をもっと続けていきたい。歌は自分と向き合う時間になるし、もっともっと上手くなりたいって思わせてくれる。声はどうしても衰えるからね、衰えを少しずつ遅らとるためには練習しかないと思っています。「毎日5分でも出す」という習慣や、小さい階段のような目標を自分に設けて、その段を超えていきたいです。こうした工夫が大事だと思うんです。
あとは、これからの生活、余裕と感謝を大事にしながら、「人生を楽しむ」ということ。心に余裕を持って、これからの人生も楽しんでいきたいです。

対話後記

対話後記

寺村さんの周りに流されずに自分を信じて突き進んできた経験をお伺いし、自分らしく生きることはきっと面白い人生に繋がるんだ、ということを実感しました。社会のあるべき姿だけにとらわれず自分らしく生きること、これはまさにAge-Wellな人生を送る上で重要なひとつの要素だと考えます。今までの人生を振り返り「面白かった」と語る姿は、まさに憧れ。AgeWellJapan labではこれからもそんなAge-Wellな生き様を発信していきます。

(インタビュー・編集 荒生真優)