2023年7月21日
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【シニア傾聴インタビュー_vol.7】好きなことに全力で挑んできた人生、これからもそれは変わらない。
Age-Well Design Labでは、挑戦と発見を通じてポジティブに歳を重ねる”Age-Well”を体現されている方へのインタビューをお届け。Age-Wellな生き方を発信していきます。
今回は、孫世代の相棒サービス「もっとメイト」を、サービス開始当初から利用されている中原則子(なかはら・のりこ)さんにインタビュー。幼いころから本が好きで、当時は人よりも本と関わることが多かったという中原さんですが、気付けばたくさんの「人」に囲まれた人生に。「今のところ、人生うまくいってる」―― そう笑顔で話す中原さんの「Age-Well」の秘訣に迫ります。
「本」を通じて触れてきた価値観と出会った夢
インタビュアー:喜屋武)前回お会いした際に辰巳さん(中原さんを担当するAge-Well Designer)と一緒に撮影したこちらの写真は、社内でも大好評なんですよ。それでは早速、中原さんの「Age-Well」を紐解いていくにあたり、幼少期についてお聞かせください。
中原さん)私は昭和21年3月生まれ、終戦の翌年に生まれたんです。幼少期は母の実家がある長野県諏訪市で過ごし、祖母や祖父によく面倒を見てもらっていました。それから小学校に上がるときに、東京の田無市(現在の西東京市)に引越しました。幼いころはあまり活発なタイプではなく、とにかく本が大好きな子ども。学校の図書室にある、古典や偉人伝を読み漁っていました。「源氏物語」や「枕草子」、「宇治拾遺物語」から「落窪物語」まで、全て読んでいましたよ。自身が病気がちだったこともあり、人よりも本が好きで。このような幼少期の過ごし方がきっかけとなって、自然と「司書」という仕事を目指すようになりました。
喜屋武)幼少期の体験が司書の道に繋がったんですね。夢を実現するために、どのような進路に進まれたのですか?
中原さん)司書の資格を取るために4年制の大学に通うという選択をしました。女性の進学率が3%くらいの時代でしたが、当時の私は「しっかりとした職業に就いて自立すべきだ」と考えていたんです。幼い頃から多くの本を読んで、他の人物の人生を追体験していたからかもしれませんね。本の世界では自分以外の人生を自由に生きられるんです。本を通じて、様々な価値観に触れることもできました。
喜屋武)当時は高校を卒業してすぐ10代~20代前半でご結婚される方が周囲には多かったのではないですか?
中原さん)そうですね。進学される女性も、短期大学を選ばれる方が多かったです。ですが、私の場合は、司書という目標に向けて4年制の大学を選ぶ必要がありました。当時は就職を経ずに結婚、あるいは就職しても結婚すると退職という方が多かった時代ですが、私はそういった周囲の慣例には違和感を抱いていました。
そんな想いを抱きながら、大学時代は中野で一人暮らしをして、生活費や学費を稼ぐために先生から紹介してもらった図書館でのアルバイトをしながら大学に通いました。図書館の仕事って、とっても幅広いんですよ。1つの本が閲覧できるようになるまでに、本の受け入れ、整理など、多くのステップを踏む必要があります。レファレンス(図書館などで利用者の問い合わせに応じ、図書の照会や検索をする業務)も、当時は機械がなかったので、司書は頭の中に全ての本棚を持っているようなものでした。幸いなことに、私は特に就職活動もせず、22歳で大学の事務として採用され、希望通りの図書館配属となりました。
喜屋武)夢だった図書館でのお仕事が実現したわけですが、実際に働かれてみていかがでしたか?
中原さん)思っていた通り、とっても楽しかったです!学び場である大学にとって「図書館」は、とても大切で大きな組織なんですよ。何十万冊という専門書が蔵書されていて、管理のために何十人もの人が働いている。世界に1冊しか存在しない貴重な本が保管されている部屋もあって、終始ワクワクしっぱなしでした!
ですが、大学に勤めている間はずっと司書の仕事というわけではありませんでした。図書館には十数年務めましたが、そこから部署移動を何度か経験して、40代のときには学生のキャリアや就職の相談に乗る部署で十数年と長く勤務しました。それに加えて、女子学生寮の寮監も兼務していました。地方から出てきた学生たちが暮らす寮の治安を守る仕事です。仲良く、喧嘩せず、健康に学業に励めるようにサポートするんですよ。20歳くらいしか年齢の離れていない学生たちから「お母さん」と呼ばれて、母の日にはプレゼントをもらったりもしていました。もちろん、女子が何十人も同じ屋根の下で暮らすので、大変なこともあります。何か事件が起こっても、大学の自治で解決していくんです。学生生活や勉強、将来やキャリアについて、相談に乗ることも多かったです。今でも当時の学生との交流があるんですよ。このときに若い人と関わる機会を得られたことが、人に囲まれる人生の原点となっているのかもしれません。
「知ること」は人生を豊かにしてくれる
喜屋武)司書だけでなく、キャリア支援に寮母まで!本当にたくさんの学生の方々と交流されてきたんですね。大学には定年までお勤めになられたのですか?
中原さん)いいえ、少し早く58歳で退職しました。長く務めていたことの疲れもあり、仕事が生活のための手段になっていたことに気が付いたんです。それから先の10年は、自分がやりたいと考えていたことをひたすら実行しました。
喜屋武)具体的にどのようなことをして過ごされたのですか?
中原)旅行や歌舞伎の観劇などですね。海外旅行は妹が住んでいるフランスにたまに遊びに行く程度で、国内旅行は北から南まで、本当に色々なところへ出かけました。どこへでも1人で行ってしまうんですよ。私は旅行する際、必ずその場所の歴史などを学んだ上で行くのですが、歌詠みの友人とは、景色を指差して「畝傍がさ〜」と、歴史や文化好きの共通言語をきっかけに話が盛り上がりますね。(※畝傍山は奈良県にある山で、天香久山、耳成山とともに大和三山と呼ばれる山。 畝傍とは「火がうねる」の意味。)
喜屋武)日本中を旅された中原さんですが、1番好きな旅行先はどこですか?
中原さん)私が1番好きな場所は奈良県の飛鳥です。仕事を辞めるときも、3月31日に退職して、その翌週には奈良県に向かっていたくらい!以前旅行で訪れたときに、ご夫婦でやっている居酒屋に入って、そこから馴染みになり、奈良に行った際は必ず立ち寄るんです。さらに、そこでたまたま隣に座っていた奈良県立大学2年生の女の子と仲良くなって、奈良に行くときには連絡して「明日あそこのお店で会えますか?」ってお声がけするお友だちになりました。彼女をはじめとして、私は学生さんが好きなんです。今思うと、大学に就職したのも、学んでいる若い方々と話すのが好きだったからかもしれません。知らないことを学ぼうとその場に来ている。それだけで応援したいし、「学ぶ」ということに対して「協力したい!」「一緒に学びたい!」と思うんです。振り返ると、私自身が「何かを学び、知識を深めていくことが好き」なのだと思います。「知る」ことは、人生を豊かにしてくれますね。
中原さん)最近知ったことと言えば、「もっとメイト」で出会ったAge-Well Designerの辰巳さんに教えてもらったおかげで、スマートEXを使えるようになったんです。年に2回くらいは京都に行くのですが、チケットをわざわざ発券しなくてもICカードだけで行って帰ってこられるようになり、とっても便利になりました!辰巳さんのおかげで、今では何でもインターネットで検索できるようになったんですよ。私たち2人は最強タッグだと思います。分からないことを聞くとすぐに答えてくれて。今では、私の妹まで辰巳さんを頼っています。
大切なのはやり切ること。自分にとってベストなやり方で人生を歩んでいく。
喜屋武)ここまでのお話を伺って、中原さんの「Age-Well」のヒントは、ご自身の「やりたい・好き」にとことん向き合いながら、新しい行動に挑戦されていることにあると感じました。そんな中原さんが普段の生活の中で、意識されていることはありますか?
中原)後悔の無いようにやり切ることですかね。実は私、6年前の72歳のときに大きな病気を患って、今も治療を進めながら生活しているんです。1週間ごとに病院に通う必要があるため、それが生活の一つのペースになっています。病名を告げられたとき、泣き喚きもせずにその事実を受け入れることができたのは、全力で好きなことをやってきたからだと思います。それからは、通院の合間を縫って人に会いに行っています。大学の卒業生や古い友人が声をかけてくれて家に来てくれることもあれば、一緒にお出かけすることも多いです。
あとは、銀座や日本橋を散歩するのが好きで、新しい発見があったり刺激を受けることが多いので可能な限り出かけるように心がけています。以前は、人より「本」が好きだった私ですが、今はたくさん「人」と会うようになりました。私もまさかこんなことになるとは思ってもみませんでしたね。キャリア相談や寮監の仕事をする中で、自分が人との信頼関係を築くことに喜びを感じるのだと気づいて、自分でもとても驚きました。今では色々な世代や新しいことを教えてくれるお友だちが多いんですよ。お洋服を作ってくれている友人もいて、今日も着ていますがとっても着心地がいいんです。
それから、私は病気を患ったこともあり、毎日「今日も元気に過ごせたな!」と思えれば、それが幸せに感じます。先日、ベランダのノボタンが一輪咲いていて、思わず写真を撮って妹に送ってしまいました。「こんな寒い中で咲いたよ!」って。私にとっては、これが幸せなんです。
それともう1つ、やっぱり私は仕事も遊びも全力が良いんです。だらだらやるのは嫌い。飛行機に乗るときに機体が滑走路を進んで、1度止まってエンジンがかかって、キュッと機首が上がって飛び立つ瞬間があるでしょう?そのときに「いくぜ〜〜!」ってなる瞬間が大好きなんです!私の生き方もそんな感じだし、それが理想でもあります。いつ何が起きても後悔しないために、常にやり切ってきました。そうでないと、何かのせいにしたり、誰かのせいにしたりしてしまう。それは嫌なんです。だからこそ私は「今のところ人生うまくいっている!」って思ってます。
喜屋武)おっしゃる通り、好きなことに全力で挑戦されてきたからこそ、今の中原さんがあるということを改めて感じました。最後にこの記事を読んでいる方に向けて、メッセージをお願いします。
中原さん)そうですね、私が思うに一人ひとり違うわけだから、その人その人にとってベストな、自分に合ったやり方で人生を歩んでいけば良いと思います。例えば、「食」に興味があるのならその道に進めば良いし、「美術」が好きならその道を極めれば良い。とにかく「良いものをたくさん見る」ということが大切なんじゃないかと思います。そして全力でやってみる。そこに必ず次の発見があります。自分の人生を振り返って「うまくいっている」と思えるのは、これが実践できていたからだと思います。
喜屋武)好きなことに全力で挑戦し続ける中原さん、本当に素敵です!改めて本日はありがとうございました。
対話後記
夢を実現された後に多くの学生と関わるキャリアを歩まれた中原さんは、人との出会いを通じて、新たな価値観に常に触れられてきました。若いうちから、好きなことに全力で挑戦し、そこから生まれる様々な発見を通じて、ポジティブに歳を重ねられてきた中原さん。それは、まさしく「Age-Well」の価値観を体現した人生そのものでした。そんな中原さんを担当するAge-Well Designerの辰巳が中原さんによく言われるのは、「自分の人生の主役は自分よ!あなた、楽しんでる!?」という質問だそう。この質問が意味しているのは、自分が主役の人生を歩むために、自分のやりたいことに全力で挑み、上を向いて前に進み続けることの大切さ。簡単なようで難しい、この姿勢を長い人生を通じて実践されてきたからこそ、中原さんのAge-Wellが形作られているのだと実感できたインタビューとなりました。
(インタビュー:喜屋武ちあき 編集:村田凜)