
2024年8月30日
Age-Well Design Labでは、挑戦と発見を通じてポジティブに歳を重ねる”Age-Well”を体現されている方へのインタビューをお届けし、Age-Wellな生き方を発信していきます。
今回は、横浜・二俣川駅の多世代が集うコミュニティスペースであり、Age-Well Design Labの拠点でもある「モットバ!FUTAMATA RIVER LIBRARY」に通う、齋藤まり子(さいとう・まりこ)さんにインタビュー。
モットバ!の前身として二俣川にあったオトナ塾grand設立から通ってくださっているまり子さんは、昨年開催されたAge-Well Festivalでは自前のお着物を着てステージにご参加いただきました。出会う方が皆つい「まり子さん」とお名前でお呼びしてしまう、陽だまりのようなあたたかさで包み込んでくださるまり子さん。そんなまり子さんが見守るAgeWellJapan(以下AWJ)のこれまでとこれから、そして山あり谷ありの人生を通してAge-Wellに生きる秘訣を教えていただきました。
インタビュアー:飯島)まり子さん、本日はよろしくお願い致します。まり子さんはオトナ塾grandの頃からこちらに通ってくださっていますが、どういった経緯で見つけて下さったのでしょうか。
まり子さん)私は何にでも興味を持って参加するタイプなので、オトナ塾grandというものができたらしいというのを聞いて、とりあえず友人の西村さんと行ってみようということで会員になりました。スマホ教室もやっていて、そこで今もモットバ!で仲良くしている羽山さんたちと出会いました。私が娘に誘われて2023年にセネガルに行くことになった時は一度離れましたが、今年からまたモットバ!を利用させて頂くことになりました。
飯島)セネガルは日本からかなり遠いですよね。1年近くセネガルで暮らしていらっしゃったということですが、初めての土地で暮らすことに不安などはありましたか。
まり子さん)不安は全くありませんでした!ちょうど会社を引き継ぎ一息ついたところだったので、ワクワクしながらセネガルに行きました。私はもともと海外が好きなんです。総合商社に就職して海外に益々興味を持ちました。退職して友人とヨーロッパ一周の旅に出かけたり、スペイン留学に行ったこともあります。ポーランド人の婿殿ともとても仲良しなので、娘家族と一緒に住むセネガルでの暮らしには、何の抵抗もありませんでした。セネガルはフランス領だったので、公用語はフランス語を使用し、現地の人同士はウォロフ語で話すなど私には馴染みがない言語でした。言葉は全くわかりませんでしたが、「ボンジュール」と声をかけたり、日本語で話したりしていました。それくらいのマインドで気軽に暮らしていたので1年近くいられたのかもしれません。
セネガルは面白いところですよ。アフリカの中では比較的安全な国です。迫力がある人が多く初めはびっくりしました。でも話してみると皆さん優しくていい人ばかりで。それにセネガルでは日本の若い人がたくさん頑張っているんですよ。娘も現地で日本の抹茶を使ったレストランを経営していますが、若い人の頑張りを見ると本当にすごいなと感心します。
飯島)そんなセネガルの様子をインスタグラムにあげて下さっていますよね。どんなきっかけだったのでしょうか。
まり子さん)セネガルで時間を持て余していた時に、娘に「インスタグラムでもやってみたら」と勧められました。アプリだけ入れてもらって、あとはGoogle検索を使いながら独学でインスタグラム投稿を始めました。初めて投稿したこの写真は、娘のレストランに初めて挨拶に行った際にスタッフの皆さんが大歓迎してくれた時のものです。
インスタグラムを投稿し始めたらいろんな方が反応して下さって、モットバ!の方や友人がいいねやコメントをくださったんです。そのコメントが日本語だったので懐かしく嬉しくて、だんだん投稿も楽しくなっていきました。
飯島)まり子さんがインスタグラムを始めたことがきっかけでモットバ!内でも「インスタグラムを始めたい」と興味を持ってくださる方が増えて、現在のスマホ教習所にインスタグラム講座が開設されました。まり子さんがセネガルから新たな風をモットバ!に入れてくださいましたね。
まり子さん)モットバ!の皆さんもインスタグラムを始めて下さってからは、お互いの投稿を見てやり取りもできて楽しいです。日本と全然違うセネガルの文化を体験するのはとても楽しく、鮮やかな民族衣装や郷土料理をたくさん投稿しました。またセネガルでも日本の風習を取り入れ、その様子も積極的に発信しています。先日はセネガルでの我が家のお正月の風景を投稿しました。娘は日本の風習を孫にも伝えたくて遠い土地で材料のない中工夫しているんです。年越し蕎麦や節分の豆まきなどもやりました。おかげで孫たちは日本が大好きです。娘と孫が日本に来た時はモットバ!でセネガルと日本の交流会を開いて頂き、いい思い出になりました。
飯島)私もまり子さんのご家族のお写真をインスタグラムで拝見する度に、仲睦まじい様子が伝わってきて幸せな気持ちになります。ご家庭を築く際、まり子さんは子育てで意識されていたことがあると伺いました。
まり子さん)私は子育てについては「いいところが伸びるように育てる」ということを意識していました。子供が小さかった時、家族で博物館に行った時の話ですが、長女は全体を見て回り、次女は興味のあるところに飛んでいき、三女はまだ字も読めないのに「最初からひとつずつ読んで」とじっくり見て回っていました。姉妹でもこんなに違うのか、と大きな発見でした。そこからはやりたいことをやらせ、子供が一人でできるようになったらそっと手を引いて見守るようにしています。子育ては引き算、手をかけ目をかけ心をかけて100%の愛情で見守っていくものと思っています。今でも三姉妹仲が良く、それぞれ別の道で好きなことを仕事にして頑張っています。
飯島)娘さんがそれぞれ好きな道に進めたのも、まり子さんの愛情あってこそですね。そういった100%の愛情はまり子さん自身もご家族から受けたのでしょうか。
まり子さん)私は6人姉兄の末っ子で、5人は戦前に、私は父が戦地から帰国してから生まれました。ひとりだけ年の離れた戦後生まれでしたので、特に父には溺愛されていました。母は私の習い事で行事がある度に新しい着物を縫ってくれました。私は茶道に華道、料理、習字や着付けなど一通りはライセンスを取りました。実は洋裁では文部大臣賞をもらったこともあります。今まではずっと会社勤めで母の縫ってくれた着物を着る機会が少なかったので、これからは積極的に着ていこうと思っています。今日の着物も母のものなんですよ。
それから姉や兄にも「まりちゃん、まりちゃん」とかわいがってもらいました。姉兄6人は今も仲良しで、一番上の姉は90歳になり現在も気功の先生をしています。
飯島)本日のお着物もとっても素敵ですね!ご主人はどんな方だったのでしょうか。
まり子さん)私が主人と出会ったのは、兄の会社です。海外から帰国して花嫁修行をしていた頃に、兄から仕事を手伝いに来てほしいと頼まれました。兄の会社に就職して私の隣に座っていたのが齋藤さん、主人でした。主人からの一目ぼれでしたね(笑)。エンジニアの主人が独立してからは、私も社長・経理として45年間、主人と二人三脚で会社経営をしてきました。主人はとても堅実で仕事への熱量のある人でしたから、バブルの時も目先の利益には飛びつかず、こだわりを持って仕事に向き合っていました。だからバブルがはじけても会社を以前のまま残すことができたのだと思います。
ただ周りの会社が一気に倒産してしまい、私たちの会社も大損害を受けました。明日の給料も危ういという時でも、主人も私も社員ファースト精神で自分よりも社員を優先して必死で守り抜きました。主人は苦労人でしたが、だからこそ人への優しさは人一倍あったのだと思います。人望も厚く社員からも慕われていたので、主人が亡くなった時はコロナ禍で葬儀に参列できなかった方が全国から自宅にお焼香に来てくださいました。社長さんたちが口々に「齋藤社長の頭の中は、仕事とまり子さんの事だけだった」と言ってくださいました。主人の社長席には社員からの花がずっと飾られていました。主人は仕事も家族も大事にしていたので、プライベートでは私と主人と娘三人で仲良くくっついて過ごすような家族でしたね。
飯島)ご主人とは公私ともにかけがえのないパートナーだったのですね。会社経営をする中で苦労されたことも多かったと思いますが、乗り越えるためにまり子さんが意識されていたことなどはありますか。
まり子さん)とにかく”笑顔”ですね。ちょうど会社が大変な時に、同居の義両親の介護をすることになって、さらに娘たちの受験も重なりました。私は娘たちだけでなく、社員たちにも家族のようにすべての愛情を注いできました。どんな時も笑顔を忘れずに愛情をかけてきたからこそ、大変な時もみんなで手を取り合って乗り越えることができたんです。社員たちも「まり子さん、まり子さん」と呼んでくれて、お母さんのような存在だったと思います。義両親の介護も娘が毎日病院に通って協力してくれたおかげで10年間やりきることができました。
同業他社が次々と倒産した時期に、会社に来た方にも「まり子さんが笑っているから、この会社は大丈夫だね」と言っていただいたことがあります。おかげで社員も辞めることなく、みんなで一緒に年を取ってここまできました。人は誰しもいいところを持っています。私はそのいいところをしっかり見て、耳を傾けてきました。
飯島)AWJは2025年1月10日に5周年を迎えました。まり子さんにはその記念式典にもご参加いただきましたが、創業期からAWJに関わってくださっているまり子さんから見て、AWJ、そしてモットバ!はどんなところでしょうか。
まり子さん)CEOの赤木円香さんがインスタグラムで5周年を報告された時、真っ先にこのようなお祝いのメッセージを送りました。
「五周年おめでとうございます。起業から一番大変な時期を乗り越えられましたね。継続は力→成功へと続きます。日々の努力を応援します。」
5周年を迎えるというのは決して簡単ではなく、大変だったと思います。でもこれだけ基盤ができてきたのだから、本当に素晴らしい事です。
今どこにも出かけるところがないというシニアが増えている中で、モットバ!に来れば誰かいる、Age-Well Designer(以下AWD)が「まり子さーん!」と笑顔で出迎えてくれる、そんな癒しの場所があることがとても嬉しいです。AWDの皆さんは笑顔が素敵で、内面からにじみ出る良さを感じます。それにモットバ!では若い方たちが講座を開いていて、先生としていろんなことを教えて下さっていることが素晴らしいですね。
企業一代30年と言われる中で、私は45年間経営者としてやってきました。何事も諦めないこと、継続することが会社の存続に繋がります。モットバ!そしてAWJが10年20年続いていくためには、今いる人を大事にしながら進んでいってもらいたいですね。
飯島)最後に、今後まり子さんが挑戦したいことを教えてください。
まり子さん)子育ても仕事も一区切りついて、義両親と夫も送り、初めて24時間全て自分の時間に使えるようになりました。着付けなど今までやってきた習い事をじっくり楽しみたいなと思っています。今モットバ!でやっている講座は、若い方の新しい感性で教えてくれるものばかりで新鮮です。一度習ったお花や習字でも新しい視点でもう一度学び直したい、そう思っています。
モットバ!とも長い付き合いができたらと思っています。もっと新しい人にも来てほしくて、最近は近所の方に「モットバ!に行けばスマホも教えてくれるのよ」と宣伝しているんですよ。モットバ!のような場所がもっと増えたらいいなと思います。
毎日健康に気を付けて、主人に見守られながら子どもや孫の成長を楽しみに見ていきたいです。孫は航空宇宙工学を学んでいるので、いつか私も宇宙に連れて行ってもらおうかしら(笑)
飯島)モットバ!スタッフとして近くでその挑戦のお手伝いができること、嬉しく思います。本日はありがとうございました!
まり子さんがモットバ!にいらっしゃると、モットバ!全体がより一層明るくなるように感じます。まり子さんはインタビューを通して「人の3倍くらい人生のストーリーがあったと思う」と振り返っていらっしゃいました。その人生の中で経験した多くの苦悩を100%の愛情と笑顔で乗り越えてきたからこそ、まり子さんには常に包み込むような優しさがあるのだと感じました。まり子さんが常に日々を楽しんで笑顔で過ごしていることでハッピーが多くの人に伝播しその場が笑顔で溢れる、『Age-Wellは伝播する』を正に体現されている方だと今回まり子さんの魅力を再認識することができました。
そんなまり子さんの楽しい日々がよりAge-Wellになるよう、モットバ!スタッフ、またAWDとして笑顔と感謝・尊敬を忘れずにいようと改めて感じたインタビューでした。
(インタビュー/編集 飯島加菜)