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2023年9月28日 Age-Well Design Lab

【事業者の傾聴インタビュー_vol.2】Age-Wellの実現に向け、人がつながる場所を作り続けるハッピーライフプロデューサー岡田 大士郎氏の生き方とは

 AgeWellJapan Labでは月に1回、挑戦と発見を通じてポジティブに歳を重ねる”Age-Well”を体現されている方、シニアの”Age-Well”な生き方を創る事業者へのインタビューをお届け。Age-Wellな生き方のヒントを発信していきます。

 今回は、株式会社HLD Labの代表を勤める岡田 大士郎氏にインタビュー。

 岡田氏は、日本興業銀行(現・みずほ銀行)にて投資銀行業務やロンドン勤務、さらには国際税務業務を20年にわたり経験した後、ドイツ銀行グループで国際税務統括に従事し、2005年からはスクウェア・エニックスにて米国Square Enix, Incの社長(COO)として米国事業に携わるなど、常に第一線でご活躍されてきた煌びやかな経歴をお持ちです。

 しかし、その裏側には数多の壮絶な経験があると語る岡田氏。今年68歳を迎えた今、人生のテーマに置くのが”ハッピーライフデザイン”。壮絶な半生を通じて見出した岡田氏が考える”ハッピーライフシフト”の真髄に迫り、Age-Wellを共に考えます。

ひとりひとりの「ハッピーライフ」をプロデュース

AgeWellJapan代表・赤木円香(以下、赤木):本日はよろしくお願いいたします。株式会社HLD Labの代表を務めながら、一般社団法人 日本ライフシフト協会 理事など多岐にわたる活動をされている岡田さんですが、まずは現在の活動内容についてお伺いできますか。

岡田さん(以下、岡田):代表を務めるHLD labの社名は、「Happy Life Design」を意味しています。個人が組織で働く時間、さらに組織を卒業してからの時間を、健康でワクワクして生きる「ハッピー・ライフシフト」のデザインを支援しています。また個人以外にも、持続可能な幸福社会を創る様々な活動を行っています。

赤木:個人へのアプローチと、世の中全体を幸福社会に変革するアプローチの二軸で活動されているのですね。具体的には、どのような取り組みをされているのですか。

岡田:まず、個人向けのアプローチでは、理事を務めている一般社団法人 日本ライフシフト協会で、ライフシフトの研究並びにライフシフトをプロデュースする人材の養成を行っています。
リンダ・グラットン氏の著書「ライフ・シフト」では、従来の生き方を「スリーステージ(※1)」、これからの時代の生き方を「マルチステージ」と定義し、時代の変化に伴い、キャリアの考え方も変えるべきであることを提唱しています。

※1)スリーステージとは
・ファーストステージ:親の庇護の元、社会に出るための準備期間
・セカンドステージ:社会人になって社会貢献をする期間
・サードステージ:リタイア後のいわゆる余生と言われる期間

 人生70年・80年の時代は、スリーステージの考え方でよかったのですが、現在は人生100年と言われる時代。スリーステージで考えるには、サードステージが30〜40年と長すぎるわけです。そこで、これからの時代に必要なのが「マルチステージ」という考え方。「準備期間」「現役」「引退・余生」と分断して考えるのではなく、何歳であっても人生を自らデザインし、年齢に関係なく生涯をワクワク生ききるということが「マルチステージ」の考え方です。
 日本ライフシフト協会では、月次の会議を開き、マルチステージの考えを学び、その生き方をサポートする人材の養成を行っています。参加者は50〜60代のまもなく定年を迎える層と、30〜40代の現役の人たちが中心で、世代間交流型となっています。「マルチステージで生きる」と言うのは簡単ですが、実践するのは意外と難しいんです。参加者の多くが団塊世代。スリーステージを辿ってきた人たちなので、年齢に関係なく人生をデザインするという考え方に馴染みがありません。そこで、自己の人生を通じた気付きや反省、知識や好奇心を共有し合いながら、これからの時代をワクワク生ききるための具体的な方法を模索しています。

赤木:「自分の人生をデザインする」という考え方を伝えていく活動ということですね!そういう個人を増やすことが、持続可能な幸福社会のプロデュースにも繋がるのでしょうか?

岡田:そうですね、考え方を広めていく活動に加えて、それをシェアできるコミュニティの存在が重要だと考えています。スリーステージライフではなくマルチステージライフを過ごすためには、利害がある人脈ではなく、心のつながりを感じられる居場所のようなものを作ることが重要です。ただ、今の社会は、終身雇用と言いながら65歳を迎えると定年退職が訪れ、組織の卒業にあわせて社会とのつながりが断たれてしまう現実があります。これは大きな弊害で、何歳になっても「社会との繋がりを実感すること」こそ、生涯現役人生を生ききる1番の良薬なのです。そのために、持続可能な幸福社会のプロデュースという観点では「人と人がつながる場」を作る活動を行っています。

赤木:分かります!企業からの卒業が、社会の卒業になっている。華々しい送別会があり、会社の方々から見送られた次の日、どこに行ったらいいか分からない。その時に感じる孤独感は大きいですよね。特に、社会貢献意欲の高い方こそ、強く感じると思います。岡田さんは、リアルなコミュニティ作りだけでなく、メタバースやweb3などの最新のテクノロジーを活用したオンライン上のコミュニティ作りも積極的に行われていますよね。

岡田:はい。デジタルの力を使えば、自分の身一つでアバターが100人作れたり、わざわざ出向かなくてもバーチャル空間で世界中の人とつながることができます。デジタルは身体の健康状態に関わらず、人と人がつながる機会を増やせるのです。あくまでもツールでしかないデジタルをうまく応用することで、世の中に点在するいろんな価値観や存在を、一つの場所で統合的に交わらせることができる。私がデジタルで行っていることは、やはりこの「人と人が出会う居場所作り」なのです。

学歴や肩書きではなく、その人自身の本質を見る「ヒューマンセントリックな価値観」とは?

赤木:現在の活動について伺っていると、ワクワク・生涯現役・人とのつながり・幸福など、とても愛と人間味の溢れたキーワードがたくさん見受けられたのが印象的でした。そもそも、岡田さんのそのような価値観はどのように形成されたのでしょうか。

岡田:ベースにあるのは幼少期の原体験だと思います。両親の関係があまり良好ではなく、日々喧嘩が絶えない家庭環境でした。家族のぬくもりがなかったわけではないが、サスティナブルなぬくもりではないと子どもながらに感じていました。旧帝大を卒業している父からは常々、国立大学に行きなさいと言われていましたが、当時から、経歴で人の価値を決める考え方に違和感がありました。
 加えて、人と交わることが好きだったので、ボランタリーな活動も積極的に行う中で、差別まではいかなくても区別される社会への違和感がありました。その違和感から、自分の意識の根底には、平和・幸福・差別がない・人間平等・愛・ぬくもり、といった考えがベースにできたのだと思います。そういう観点で、若い頃は特に、社会に対するアンチ意識はずっと強かったと思います。

赤木:幼少期からラベリングやそれによる区別社会への違和感があったのですね。社会人になってからさまざまなご経歴を重ねられることになりますが、その中で岡田さんの考え方はどのように醸成されていったのか、詳細をお伺いできますか。

岡田:新卒で日本興業銀行(現・みずほ銀行)に入行しました。最終的に20年勤めることになりましたが、銀行員として本当に多くの経験をしました。
 入行後広島支店に配属となり、約4年銀行業務の基本を学びました。その後、初めての転勤で、関連のリース会社に出向となったのですが、興銀本体のクライアントがほぼ大手企業なのに対し、リース会社では、金融業界の生々しい現場を目の当たりにしました。
 その後、イギリスへの赴任が決まり、家族でロンドンに移住しました。同じ島国であるイギリスは文化も価値観も全く異なり残業が当たり前の日本とは対照的に、定時になったら帰り、趣味は散歩で休日は庭いじりをして自然を愛でる楽しみを知っているイギリス人を見て、なんのために仕事をしているのか?という問いを突きつけられました。当時の私は、1日24時間働くことが当たり前という価値観に染まっていましたが、イギリス人は、人間生活の重要性をみんなが当たり前に知っており、生きることを楽しんでいたのです。全く異なる価値観や文化に触れる中で、生きる喜び、働く喜びを教えてもらいました。

赤木:その後ドイツ銀行にいかれるのですか?

岡田:ロンドンから日本に戻ってきて4年ほどたった後、1999年にドイツ銀行に入社しました。国際税務統括というミッションで赴任したのですが、外資ならではのスタイルで、4年半でミッションを終えた瞬間に「明日から来なくていいよ、ご苦労様。」という結末。45歳を目前にして職安に通う日々を過ごすことになりました。
 その後も、知り合いの紹介で、とある企業に「社長代行」として参画したのですが、紆余曲折あり、最終的にその企業は倒産し、多額の負債を私が責任をとる事態となってしまいました。突然の差押を受ける経験を通して「銀行」は債権保全のためには「人の暮らし」への考慮なくも「行為を果たす」姿勢に、自分も銀行員時代こうした事を平然とやっていた事に複雑な思いを抱きました。銀行の零細企業への融資に対する社長個人保証制度は見直しされつつありますが、私自身、身を持ってこうした経験をした事により「銀行」の在り方への想いと共に「自分自身の生き方」について深く考えるきっかけとなりました。
 この問題は、その後15年間に渡り責任を果たしてゆきましたが、その間にスクウェア・エニックスとのご縁をいただく事ができました。2005年から2007年は米国Square Enix, Incの社長(COO)に就任して米国事業経営に携わり、2018年までの10年間を総務部長としてゲームスタジオの「場」づくりの経験をさせてもらいました。通算13年にわたり、金融とは全く異なる世界で働けた事が、今の私の活動の原点となっています。

赤木:プロフィール情報からは見えない壮絶な人生だったのですね。

岡田:そうですね。輝かしい経歴でも、その裏側には、ドラマのようなジェットコースター人生があるということです。これは私だけではなく、成功者と言われる人に共通していて、肩書きの外から見える人生と実人生は必ずしも一致しているわけではありません。だからこそ、その人の本質を見ることが大事なのです。私はそれを「ヒューマンセントリック」と呼んでいます。

赤木:岡田さんがおっしゃる「ハッピーライフデザイン」は、壮絶な人生を送りながらも、大切な人生観を失うことなく、前のめりに生きてこられた人生そのものを指すんですね。

岡田:そうですね。伝えたいことは、私が今「ハッピーライフ」を大事にしているのは、私の人生がずっと順風満帆だったからではないということです。Age-Wellな生き方とは、ずっと平和でずっと順風満帆に歳を重ねることではないのです。そんな人生はまずあり得ません。
 人間生活をしていれば、必ずいろんな階段があり、みんなそれを登っています。その過程を苦労と見るか試練と見るか、人生の一つの当たり前と見るのか次第で捉え方は変わります。例えば、生まれ育った環境を不幸だと思う人もいるかもしれません。ただ、そこからの生き様を考えた時に、何を価値にして、何を大切にして、何を持って人生を生き切ろうとするか。私にとっては、社会とつながりながら、ハッピーに人生を生ききることがもっとも大切な価値だということを自分の半生を通じて実感しています。だから、「ハッピーライフデザイン」の活動を行っています。

ハッピーライフプロデューサー岡田氏の今後の展望

赤木:ご自身の人生をジェットコースターと振り返る岡田さん。まさにその通りいろんなご経験を経て現在のHLD Labの事業があるわけですが、ハッピーライフデザイン、また、プロデューサーとしての今後の活動方針はどのようにお考えですか。

岡田:冒頭にもご紹介した通り、現在はデジタルを使った活動が多いですが、最終的にはリアルな場で人間の気を感じ合いながら生活するプラットフォームを作っていきたいと考えています。私はこれをweb2とweb3のいいとこ取りをしたweb5と呼んでおり、web5の世界でハッピーライフをデザインできるプラットフォームを社会実装していきたいと思っています。
 そのプラットフォームが、世の中に点在する人や個性が統合的に集まる場所となれば、そこで生まれた人同士の繋がりや個性の掛け合わせによって、新しい価値を生むことができます。デジタル・DX・メタバース・ゲームは個人の生きがいを作る有効なツールであると同時に、年齢や場所、置かれた環境を飛び越えて人と人が繋がれる場所にもなりえます。そのデジタルをうまく活用しながら、体温を感じ合えるオフラインつながりを作り、新しい価値をいろんな人と一緒に作る”共創社会”の在り方を、世の中に広く伝えていきたいと思っています。
 私が目指すハッピーライフや、赤木さんが掲げるAge-Wellが、ひとりひとりの生き方・生き様を支える価値観になれば嬉しいです。そのためには、この価値観や概念を多くの人に知ってもらうことと同時に、超高齢社会そのものがもっと成熟する必要があると考えます。私はweb5のプラットフォームを創ることで社会を前進させたい。生涯現役人生をかけてやっていきます。

編集後記

岡田さんとは、以前も何度かお話させていただきましたが、今回の取材を通して、初めて岡田さんの語る「ハッピーライフデザイン」の真髄を知ることができた気がします。Age-Wellな生き方とは、順風満帆に歳を重ねることではない、と語る岡田さんの生き様は、「社会と繋がりながらハッピーに人生を生ききる」こと。彼こそが、Age-Wellの体現者であり、そんな岡田さんとこれからもAge-Wellを共に探究していけることが楽しみです!